2017年03月28日
一里塚
富士川民俗資料館の近く、旧東海道沿いに、
二本の榎が立っている場所があります。
これらの榎の木は、東海道の一里塚でした。

富士川地区に残るものは、江戸から37番目の一里塚で、
江戸時代には傍に茶店があり、名物として栗の粉餅が
売られていました。
これらの榎は、慶長9年(1604年)、東海道の整備が
始まったころに植えられたとされ、当時のままで
一里塚が残っているところは殆どなく、大変貴重なものです。

(撮影 高木浩司氏)
サムネイルをクリックすると、地図が出ます。

二本の榎が立っている場所があります。
これらの榎の木は、東海道の一里塚でした。

富士川地区に残るものは、江戸から37番目の一里塚で、
江戸時代には傍に茶店があり、名物として栗の粉餅が
売られていました。
これらの榎は、慶長9年(1604年)、東海道の整備が
始まったころに植えられたとされ、当時のままで
一里塚が残っているところは殆どなく、大変貴重なものです。

(撮影 高木浩司氏)
サムネイルをクリックすると、地図が出ます。

Posted by 富士市商工会 at 10:15│Comments(0)